人は平均台の上で跳ねたがる。
平らなのだから真っ直ぐ黙って渡れば良いものを、中途で飛んだり跳ねたりして目立とうとする。
これは、一般の中に溶け込み、尚かつ、特別扱いを望む、と云う心の動きがあるからに他ならない。
何とも矛盾していて滑稽だが愉快だ。
及第と落第であれば及第を望む。
つまり、水準以上では在りたい訳だ。
上中下で云えば、中の上。その辺りを狙う。
だが、或る一点…自分の得意分野など…では他よりも抜きん出たいと欲する。
例えば、「凡庸」の対極に「特異」があるとするならば、一点においては特異を狙う、と云うことだ。
落第、及第、凡庸、特異。
これらのキーワードを並べると浮かび上がるものがある。
そう。云わずもがな「比較」だ。
列挙したキーワード以外にも比較を表現する言葉は無尽蔵にある。上下、左右、優劣、正負、是非、等々…
これらの「対義語」が設けられる、存在する理由はただ一点。
両極の振り幅…A点とB点…を以て、その中点を導きたいからだ。
−1から+1の中点→ゼロ・ポイント。
つまりは「基準値」を定めたいだけなのだ。
人は平均台の上で跳ねたがる。
我々は生まれた瞬間に平均台に乗せられているにも関わらず、比較級に翻弄されながら飛んだり跳ねたりしているのだ。
故に、心電図は起伏を描く。
ゼロ・ポイントを指し示していたら…?
願わくば、呼吸が侭なるうちは跳ねていたい。未来永劫まで継続を許された舞踊などないのだから。
心の臓が脈打つ限り──。