疑問考 - 未知と既知の境界線 ダークマターの存在

通念上、俄に湧き立つ疑問などどうでも良い。

それらは某かの制度によって生じた、或いは、環境──つまり、条件を必要とする「後付けの疑問」だからだ。

「疑問」について、ふと考えてみた。

未知から既知へのスライド。その一連の流れは「疑問」が契機である。疑問が浮かばねば、未知は永遠に未知の侭だろう。

疑問を持たずして従順でいることの美徳観はない。

──だとすると、未知と既知とに分離する。

未知と既知の領域。身体能力上で云えば、知能指数の違いで容積が異なる。それは「相応」と云う定義で説明がつく。

例えば、難しい数学の問題。そもそも答えのない問題がある高等数学などはさておき、必ずひとつの解に到達する、とされている。

例えば、「解けない謎」と呼ばれる難問の類い。推理小説の世界観においても名探偵と翻弄される者とに分岐する。

解ける者と解けない者とに分岐する。

と云うことは、双方共に、解けない謎ではない、と云うことだ。つまり、双方共に、解へ到達するのが困難なだけである、と。

平たく、分かる者は限りなく分かり、分からない者は果てしなく分からない──と云うだけのことである、と。

これら知能の差異によって生まれる疑問は、単純に、凡人と非凡人との差異によって生まれる疑問であり、条件分岐によって決まる「後付けの疑問」だと云えるのだ。


今、僕を捉えてやまない最大の疑問はダークマター。その存在と意義の謎である。

これは現代科学の叡智を極めた者でも解き明かせない、云わば、全人類的規模でも証明し得ない最大級の謎のひとつなのだ。

平たく、この地球上で解き明かせる者が誰ひとり存在しないのだ。「なんで、こんなにツイてないんだろう...」など、俄に湧き立つ疑問など足許にも及ばぬほどに高度な謎なのだ。


ダークマターとは、我々が生息する世界...銀河系規模...のあらゆる場所に存在し、且つ、科学的にその存在を立証する術を持たない驚くべき存在なのだ。

そして、その物量たるや、我々が視認できる存在を100%とするならば、それと同等、或いはそれ以上、つまり、我々が視認している存在は、実は、50%にも満たず、ダークマターと云う「対」を以て、初めて100%足らしめている、と云うのだ。

ここに来て「陰と陽」と云う「対」が浮上する。


ダークマターは謎の物質だ。しかし、誰もがその恩恵に授かっている。存在証明ができないにも関わらず...何とも不思議な感覚に包まれる。


物理、化学の観点から、その存在の候補として挙がったのが「エーテル」と呼ばれる物質だ。エーテルについては下記URL参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/エーテル (物理)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/エーテル (化学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ただし、やはり解明には至らなかった。
ダークマターは謎の侭である。


地球上に存在する物質は「標準模型」と呼ばれる理論で立証できるそうだ。この模型に当て嵌めれば、これは何々であれは何々で、とすべて解明できる、と云われている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/標準模型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この標準モデルを以てしても立証できないのがダークマターなのだ。何故、存在し得ると考えられているのだろうか。

この期に及んで「神の存在」などが顔を覗かせる。彼もまた、存在証明でき得ぬ存在のひとつである。


今、僕を捉えてやまない最大の疑問はダークマター。その存在と意義の謎である。

これは現代科学の叡智を極めた者でも解き明かせない、云わば、全人類的規模でも証明し得ない最大級の謎のひとつなのだ。


通念上、俄に湧き立つ疑問などどうでも良い。

それらは某かの制度によって生じた、或いは、環境──つまり、条件を必要とする「後付けの疑問」だからだ。



【参考】
http://ja.wikipedia.org/wiki/暗黒物質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

___ spelt by vincent.

コメント (1)

vincent. 2011年6月26日(日) 13:00

なんで、こんなこと綴ったんやろ?(´∀`*)