享年65歳。その半分。32、3歳。
そう考えると、僕はとうに折り返し地点を通過している、ということとなる。
折り返して一体何処へ行くのか?
ブーメランのように元居た場所へ?
否、それはない。生の分岐点を折り返しても生まれる前には戻れない。
非可逆。
故に、人生に折り返し地点などない。死へと続く一本道をただ進んでゆくだけだ。
10月で39になる。アラフォーとかゆーて感じ出してる場合ではない。
残り3分の1だ。
生にリミットがある限り、何処まで進んでも果てしなく虚しい。極論、すべて無駄の極致。
だからこそ、無駄の中に愉悦を見出すより他ない。
都度、降って湧き出す分岐点と思しき類い。それらは単純に選択を迫られているだけだ。
その選択には、始まりも終わりも何もない。決定を下した瞬間に、何かがフィックスする訳ではない。
true or false
そのブーリアン演算を延々と繰り返す。
自己との闘争。
死の瞬間刹那で断絶する。思考の侭なるうちは真偽の程を見極めるべく──。
ブーリアン演算を延々と繰り返すのみだ。その過程で、多くのifやelse ifに出くわす。
折り返し地点。
ブーメランとブーリアンのランデヴー。
「このスペルを綴った動機は?」
「else処理で──」