屈服考

5月15日(金)21:00〜
西武新宿線中井駅附近にあるバー。

1号店、2号店、次いで3号店、と。目下、破竹の勢いで連勝街道まっしぐらの石川家。

この日は、3号店オープンのお祝いも兼ね、兄弟分の待つ、この店へ出向いた。

彼と会うのは半年振りくらいになるのだろうか。ひと目会っただけで氷解。挨拶。前置き。前略。冠省。時空を飛び越え変わらないもの──が滲み渡る。

僕は基本的には単独行動が多いのだが、この日は可愛い仔猫ちゃんにもご同行願った。

兄弟分に女性が居て、こちらに居ないのでは画にならない、と云うささやかな抵抗のひとつではあるのだが…

せめてひと雫でも愉悦を共有できれば…などと云う、こちらの身勝手さをも汲み置いた上で、あり余る時間でないにも関わらず、彼女は快諾してくれた。

ありがとう。
君は、ひとりだけのものにしておくのは勿体ないね。真っ直ぐで素敵な娘や(´∀`*)y-〜♪


閑話休題。


ひとしきり近況報告などを唱え合い、場が馴染んで来た頃合い、vin.節の節回しもかなり饒舌に。立て板に水の如く流暢になっていた。

そのワンシーンをダイジェストで。

「意味・理由・目的」
「はい」
「このみっつをすべて棄てる」
「ええ!?」
「そうすれば、すべてが見えてくる」
「──??」
「『本質』が透けてくるんだ──」

そう嘯き、ロック・グラスをひと舐め。兄弟分の彼女の反応をちらりと伺う。徐々に氷解してゆく様を眺めるのが愉快だ。

「ああ… 何となく。分かってきました……」
「そう?」
「はい。ああ… そう云うことかぁ……」
「ね、簡単でしょ?」
「はい」
「難しくしてるのは自分なんだよ」

こんなやり取り。


先に挙げた3点。
これは「理解」でカタが付く。

「意味が分からない」
「理由が分からない」
「目的が分からない」

──では、その逆は?

「意味が分かる」
「理由が分かる」
「目的が分かる」

──では、だから何なのだ?
その次は? と──

 So whats ?
 Next one ?


「理解は通過点」と云うことを諭しただけだ。

平たく、一般的な「悩み」と呼ばれる類いのものは、この辺りでうろついているだけの問題だ、と。

「全部棄てれば悩まなくて済むでしょ?」
「はい」
「棄てたからってなくなる訳じゃない」
「はい」
「まぁま、棚上げ、だね。」
「はい」
「思考から除外。少しお休みをあげるんだ」
「──」
「僕は『棚上げの美学』って呼んでるよ」
「──」


vin.節の根底は「理解を求めない」。
頭の善し悪しで分岐する問題などハナから見ていない。

 何を感じるか──この一点。

それ以上でもそれ以下でもない。
要するに「理解不要」と。

 感受性の言葉に耳を傾けよ、と。

そう云っているだけだ。


その他にもエピソードは多々あるのだが紙面の都合で割愛。

紡ぎ出されていたであろう迷場面・珍場面の数々を、各人がそれぞれにそれぞれの尺度・観点で思い描けば宜しい。


タイトルにある「屈服」と云うフレーズ。
僕は「今、僕が抱いている思い」として口にした。
「漠然」にも近い感覚だが、かなり明示的、意識的に──。

「僕は『屈服』に憧れているんだ」
「屈服?」
「そう。屈服──分かる?」
「はい。言葉の意味は…」
「なかなか難しいでしょ? この『屈服』ってやつは」
「んー… ですねぇ…」
「そそ。だから、憧れるんだよ」
「──」


中井の兄弟分は、僕の前だと「素」で居られるそうだ。僕も彼には「素」を晒す。
酔っていても「素面」だ。(´∀`*)

お互いのベクトルを邪魔するものは何もない。真っ直ぐに、ストレートに──。

或るときは突き抜け、或るときは突き刺さる。

彼も僕も社会人・文化人の端くれではあるつもりだから、こんなでも相応の「ペルソナ」は使い分けているつもりだ。

TPOと云う言葉を遣うまでもなく「分け隔て」を以て「公平」に他人と接する。それが「常識」とやらなんだろ?

ただ、そればかりに気を遣っているのも…
──神経繊維の摩耗は甚だ著しい。

「酒の席は無礼講」

この科白。意義根底を理解した上で宣う輩が、果たして、どれくらい存在するのだろうか──?

「暗黙の了解を心地好く呑ませる傲慢」

──これが僕の云う『屈服』だ。


 屈服しちまったよ、ベイベー☆


大変心地好い酒席であった。
余は満足ぢゃ☆(´∀`*)y-〜♪

___ spelt by vincent.