詳細定義はさておき、僕が認識している部分について少し潜ってみたい。
醜形恐怖とは、読んで字の如く「醜い形に恐怖する」と云う感情概念だ。
例えば、「見ただけでも気持ち悪くて触れない」などが分かり易いが、精神医学的には少し違う解釈がされているようだ。
例に挙げたものは、所謂「他人」や「自分以外のもの」──それらに対する「恐怖感情」と云える。
醜形恐怖と云う語彙を知らずとも、それは大抵の人が抱く感情だと思われる。
「キモイ」や「キショイ」などはその代表格。自分の感情をストレートに告げると、相手に不都合や落胆を味合せることに繋がり易い、と云うことが見えてくる。
掘り下げたいのは、この感情──醜形恐怖が他方ではなく自身に向けられると? と云うことだ。
自己嫌悪、自分ダメ出し、脱力感、抜け殻感、喪失感、等々… 他にも幾らでも語彙は犇めいているが、さておき…
自身のスタイル、容姿について醜形恐怖が及ぶと、自己嫌悪以上のストレスが当人を蝕む。
「消えてなくなりたい」
「こんな姿を晒せない」
更に進むと、
「周りの他人が邪魔くさい」
などの方向へ進む可能性を孕んでいる。
犯罪者心理と云うものは、大半がこの辺りに類型される。
ここから派生して…
「事件当時、被告人は精神錯乱しており、正しい判断ができない状態だった」と云う「弁護」で罪を逃れようとする向きについては些か閉口する。
正しく判断ができる状態で罪を犯すのは、そちらのほうが精神異常だ、と。
戻して…
醜形恐怖を抱く根底は世間の風潮にも影響している。巷を賑わしている「ダイエット」と云うキーワード。これに過度に感化された者が醜形恐怖を増長させるのだ。
本当に醜いのは、流れに流されることを疑問視しない自身の弱さに目を向けないことだ。
インターフェイスは内面のリザルト。
例によってvincent.語録のワンフレーズだが、内面を研ぎ澄ませば、必然的にインターフェイスは磨かれる。
僕が云う「内面」には「外見はこう在るべきだ」と云うものも含まれる。それを目指す精神ベクトルが美しいのだ、と。
綺麗事と精神論とに夢と希望を乗せて。
我が魂の命ずるままに──。
コメント (3)
僕自身、人と会うことが非常に煩わしく感じることがある。 それは今回のスペルの主旨とは外れるかも知れないが、 兎に角、自分がミジメに思えることが多々あるからだ。
単純な比較論ではない。
容姿など、、いい男はごまんと居る。
そんなことでミジメさは感じない。
自分の弱さを見透され、そこを突いて来られたら、
ひとたまりもない自分を知っているからだ。
「虚飾」の脆さを誰よりも知っているからだ。
内面の研磨──。
やはり、人間は精神の生き物だ。
そんなことを感じる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/身体醜形障害
Wikipediaで調べてみたところ、
認識の誤差なりを改めて感じた。
語尾に「障害」と云う言葉がつくだけで、
一様に括り切れない、独自の閉塞感を否めない。
やはり、精神世界は奥深い。
曖昧な輪郭で分類された世界観が、
非道く滑稽でならない。