あなたは恥ずかしがり屋さんですか?
それとも寂しがり屋さんですか?
10月16日、夕刻。
都営三田線電車内での1コマ。
車輌の一番隅にあるシルバーシート。
四人掛けの対面タイプ。
地下鉄では割と珍しいタイプだろう。
僕は密かに「旅行モード」などと呼んでいる。
隣りの車輌に背を向けた側は窓付き。
対する対面には窓はない。
3席空席だったのだが、気になったので立っていた。
窓なし通路側にご老人が坐っていたからだ。
僕から見ると、丁度、背中を向けた格好だ。
グレーのフェルト・ハットが似合っていた。
冒頭の疑問に、ふと思考を巡らせる。
四人掛けの座席と云うことは、定員四名まで着席できる。
最初のひとり目は、どの座席に坐るのか自由に選択できる。
すべて空席なのだ。当然の選択権である。
その選択肢によって、無意識に働く、
その人の「心理」が朧げながら読み取れる。
彼は窓側を選ばず、窓のないほうを選択した。
地下鉄だから、車窓の外から中を覗き見られる、
と云うことはないだろうが、それでも尚かつ
外界とシャットアウト。
しかも、隣りの車輌に背を向けたほうを選択しなかった、
と云うことは、同じ車輌の人々にも背を向けている状態である。
或る意味、外界とのシャットアウトは念入りに行われている。
何故、彼が窓側を選択しなかったのか、
と云う疑問を少し掘り下げると、
「窓際」と云う響きの持つマイナス要素が
彼をそうさせたのかも知れない、と云うことも浮上する。
ただ、それはいささか深読みの領域だろう。
兎に角、彼は窓側を選択しなかった。
ここで、ひとつ目の心理、
「恥ずかしがり屋さん」が浮上する。
「照れ屋さん」かも知れない。
すると、必然、彼は通路側を選択することとなる。
最初のひとり目が通路側に坐ると云うことは、
後から来た者が自分の着席意向を最初のひとり目に、
「ちょっといいですか」と告げることとなる。
例えば、脚を組んでいようとなかろうと…
要は、通路が広かろうと狭かろうと、
一瞬でも他人の眼の前を通過するのだ。
ひと言掛けるのが礼儀だろう。
外界とシャットアウトはしているが、
他人から声を掛けられることは閉ざしていない。
彼の状態を端的に示せば、こう云うことになるだろう。
彼は自由な選択肢の中で、この座席を選択したのだ。
冒頭に浮かんだ僕の疑問は、瞬間的に浮かんだものであり、
日常と云う空虚な幻想に、どっぷり埋没していない者ならば、
常日頃から、日常茶飯事、無意識配下で、
同等の思考プロセスが繰り広げられているだろう。
常々、綴っていることのひとつに、
「能動的たれ」と云う主旨が多く見られる。
我が魂の命ずるままに──。
これなどは「能動」の頂点であろう。
だが、人間と云うのは不思議なもので、
自らの選択、決定によって、すべてを判断している訳ではない。
「何となく」
こんな曖昧な決定権が最後の砦だったりするのだ。
固い言い回しに言い換えれば、
顕在意識下での決定ではなく、
潜在意識下での決定が「結果」として露見する。
と云うことだ。
人は生まれた時点で「受動的」と括った根幹でもある。
要は、生まれながらにして「M」である、と。
シルバーシートの存在意義は、何となく理解しているつもりだ。
僕は、特段、敬老の念はない。
何年生きていようがアホな奴はアホ。
単純、ひねくれているし、
同時に、儒教思想のぬるさに辟易としたりするくらいだ。
年長者を敬う、と云う思想は儒教概念のひとつだ。
要は「年寄りをやたらめったら尊敬しなさい」と。
僕が呆れる様子が伝わるだろうか。
僕が「尊敬」と云う言葉を使いたがらない原因のひとつでもある。
「言葉の意味が軽い」のだ。
チェキラッチョ宜しく「リスペクト」くらいの軽さが丁度良い。
そんな風に感じている。
元に戻して、、
冒頭の疑問符。
あなたは恥ずかしがり屋さんですか?
それとも寂しがり屋さんですか?
彼は、どちらを営んでいる経営者なのだろうか。
いずれにしても、両方共、僕も営んでいるので、
先輩としての意見を、是非、拝聴したいものだ。
その論旨・根幹に素晴らしいものを感じれば、
僕は「尊敬の念」を抱くだろう。
僕は、驚くほど単純明快な人間だ。
自分自身で自分の身の程は知っているつもりだ。
大概、何でも簡単に受け入れる。
否定的なスタンスは殆どない。
──これは、大概の概念に当て嵌まる。
人見知りで社交的。
人懐っこくて閉鎖的。
それ以外にも、幾多の「矛盾」を同居させているだけだ。
なので、彼の答えを訊きたいのだが、躊躇の念が支配する。
そして、同時に「そこまで…」と云う諦観の念に駆られる。
ま。他人なんぞどうでも良いしな?(´∀`*)
そうして、暫く眺めていたのだ。
僕は閑さえあれば、脳内プレーヤをフル回転させている。
壊れ易いのは必然かも知れない…苦笑
そんなこんなで、暫く見守って?いたのだが、
果たして、ふたり目がシーンに登場した。
軽く注目。ふたり目も年配の男性であった。
はてさて、どんなシーンが紡がれるのか…
……。
ひとり目の老人の脚にぶつかったにも関わらず、
後から来た年配者はアクションなし。
ぶつけられた当人もノーリアクション。
……。
何、不感症…?(´・ω・`)
ヒジョーーーーーにつまらん…え? 何もなし?
へぇ〜あっそぉ…
僕のひとり脳内劇場は、こうして幕を閉じるのである。
奇しくも、巣鴨駅で共演者たちも降りた。
彼らの背中が何故か寂しげに見えたのは、
多分、気の所為だろう。
___ spelt by vincent.


























コメント (1)
恐らく、、「何も考えていない」、、
驚くほどに空虚だ。。(´∀`*)
ありがとう。より信憑性が高まったよ。
Life has no meaning...
敬愛するご老体どもへ
血のように燃え滾る、
crimson velvet rose を。。☆