ルックス重視、と云う言葉。
吉祥寺の、とあるマスターの呟きだ。
ちょっと以前、アルバイトを募集していたのだが、なかなかに深い言葉だと感じた。
冒頭のフレーズ。
一般的には余り好印象を持たれるフレーズではない。「人を見掛けで判断するな」と云う教えの対極だからだ。
僕はこう返した。
「即戦力が必要なの?」
「そうだね」
「じゃ、ルックスは一番重要だね」
「でしょ? それ目当てにお客さん集まるもん」
「そうだね」
こんなやり取り。更に続ける。
「条件としては一番的確だよね」
「そう?」
「綺麗事云っても人は見掛けで判断するしね」
「でも、仕事できないんじゃ話にならない…」
「それも大丈夫」
「──?」
「余計なコンプレックスがないから教えればすぐ吸収するよ」
マスターは、成る程ね、と頷いていた。
僕の考えはこうだ。
大抵の人は少なからずコンプレックスなりを抱えている。代表的なものが「容姿」に関すること。これは男女問わず、である。
このコンプレックスに長いこと苛まれていると、物事の根幹に目を向けることが侭成らず、大概が表層部分で打ち砕かれてしまう。
「どうせ俺なんか…」
「どうせあたしなんか…」
失敗の原因が容姿から発生したのでないにも関わらず、このような呪いの感情が生まれ易く出来上がっている。
そう云った思考回路が既に出来上がってしまっている、と云うこと。
この「ひがみ根性」にも似た感情は、根幹に「容姿に対するコンプレックス」が根付いているからだと感じる。
「問題点が見えていない──」
結果、不細工に拍車を掛ける。
ある程度、他人からもてはやされている人は自分の容姿についてそれほど頓着を持たない。
自分にとって、「かっこいい」「かわいい」「綺麗」は「当たり前」であり、「その次」「その先」を目指しているからだ。
容姿端麗なことはその人にとって極々「自然」であって、表層の雑事なりで絡めとられることは殆どない。
穿った言い方をすれば「性格美人」などは居ない。性格が宜しければ、必然的に表層も美しく仕上がる。
インターフェイスは内面のリザルト。
vincent.語録のひとつだが…
内面を重要視し、磨いているのならば、表面は美しくあって当然、必然、自然、と云う持論からだ。
「あるべき姿」──それが「然」である。
それを怠っている者が拗ねたところで何が何やら… 贔屓目に見ても性格が宜しいとは感じられない。
性格とは後付けでどうとでもネジ曲げられるものなのだ。
これらを払拭する冒頭のフレーズ。
直訳すれば、
不細工は要らない。
と、そう云うことだ。
即戦力を望む緊急事態において、内面の煩わしいことは楽屋で済ませておけ、と云うことだろう。
彼自身、年齢的には40代だが、そんな雰囲気を纏っていない。──「ルックス重視」だ。
ただ、横柄ではないから、やはり「いい男」だ。きちんと使い分けが出来ているし、人との接し方において「公平」である。
水商売の鏡だろう。
僕の兄弟分のイケメンをひとり紹介しようと手を回したのだが、彼は今頃、何をしているのかな?
「わざわざ僕のためにありがとうございます」
なんて、塩らしい演技かましてくれちゃったりしていたが、自分、いい男だから赦してやるよ…☆
いい男とかわいこちゃんには弱いからねぇ〜
あ。かわいこちゃんのがいいかも…☆
(*´艸`)ウフフ♪
僕は差別しない代わりに「特別扱い」をする。それは「低俗な差別」とは無縁の「高潔な別枠」──その頂点である。
コメント (1)
こう云った類いのことを僕は「綺麗事」と云う。w
分かっていること、承知していること。
それらを隠蔽することに「美しさ」を感じないからだ。
「デリカシー」と云う言葉が浮かぶ。
僕の根幹はデリカシーの欠片もない。
なぜなら、それは「ガキ」だからだ。w
ガキは正直ではなく、デリカシーに欠けるのだ。
デリカシーのない輩が思ったり考えたりすることは、
非の打ちどころなく非常に「正論」だ。
ただ、人は自分にとって「好都合な正論」しか受付けない。
元来、自分勝手なのだ。w
「出す・出さない」
それを窘められたことを痛感する。
僕は、ギリギリまで引っぱり、、遂には出してしまう。
僕自身は、それを「爆裂」と呼ぶ。
爆裂したものには強烈なインパクトが伴う。
そして、賛否両論の格好の餌食となる。
このとき、「否」を受け入れられないのならば、
自分都合の「不都合」が受け入れられないのならば、
僕は「死ね」と云う強烈な激励をブチかます。w
そこで本当に命を絶ってしまうのならば、、
Be free... 自分の魂は自分自身で大いに切り刻み給え。w
僕の強烈な激励には、
自身が良い、かっこいい、美しい、と思う事柄に、
自身の掲げる「美徳観」に「殉じろ」──。
敵なんかひとりもいない。誰もが無敵だ。
虚像を捏造し、怯える自身に焔を放て!
と云う願いが込められている。w
人間は弱い。
だが、強くあろうとする姿勢が美しいのだ。
我が魂の命ずるままに──。