「弱音を吐く男──」
カウンターに坐っていた男が出し抜けに呟いた。ひとつ席を空けて坐っていた女は持っていたグラスを止め、怪訝そうに男を見つめる。
「って、君はどう思う?」
機嫌を伺うような眼差しで女の顔を覗き込む。女は視線を逸らすと、呆れたように吐き捨てた。
「うんざりだわ」
男はグラスの中の氷をカランと鳴らした。
「これはこれは。手厳しい」
女に投げた視線をボトル棚に向けると、男はグラスをひと口ちびりと舐めた。氷をカラカラと二、三巡させたあと、静かにコースターの上に置いた。
「あなたは弱音を吐く男なの?」
「そう云うときもあるかも知れない」
「偉く自信のない答え方ね?」
「ああ。度胸だけじゃうまくないからな」
「それはそうね。理知的じゃないと」
「生憎、オツムの出来はそれほど芳しくない」
「そう。だから無謀な挑戦をするのね?」
「無謀?」
「ええ。わたしに声を掛けるなんて」
「何百年も生きるつもりはないんでね」
女の口許に笑みが浮かぶ。
「あなたは、どんなときに弱音を吐くの?」
「知りたいかい?」
「少し興味湧いたわ」
「少し、か」
「ええ」
「随分、慎重なんだな?」
「理知的と云って欲しいわね」
「逢ったばかりで知能指数を競っている暇はない」
「ふふ。面白い人」
「そうかい? 僕は飽きたがね」
「何に? 自分に?」
「ああ。降りたいが降ろしてもらえない」
男は再びグラスをひと口舐めた。女が憐憫の眼差しを覗かせる。
「あなたは何をしている人なの?」
「ん? 酒を飲んでるだけだよ」
「いえ、今の話じゃなくて…」
「さぁな。そのときの気分さ」
女の憐憫が一層色濃くなる。
「可哀想な人──」
「聞き飽きた科白だな」
「どうして、そんなに強がるの?」
「身構えないと足許を掬われる」
「お酒を頂いているときに緊張は不要よ」
「これでもリラックスしてるつもりさ」
「そうは見えないけれど…」
「知らないことのほうが多い」
「──どうして私に声を?」
「眩しかったからさ」
「まぁ…」
「何だい? やっぱり、うんざりかい?」
「どうして?」
「僕は弱音を吐いているんだぜ?」
女は言葉を失い、穴の開いたような表情で男を見つめていた。その視線は男と云うよりは虚空を捉えていた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
暫くして我に返ったように現実に戻った。
「いえ…」
「そうか。もう飲まないのかい?」
「いえ、頂くわ」
「まだ宵の口だ。お喋りには十分過ぎる」
「ええ。弱音の続きは?」
「聞きたいのかい?」
「ええ。あなたの弱音は面白いわ」
「そうか。喉が潤えば自然に紡ぎ出される」
ふたりを包む空間に柔らかな雰囲気が揺蕩う。
「眩しいだけ?」
「や、それだけじゃない」
「他にはどんな?」
「君は余程、自分に興味があるんだな」
「ええ。一生付き合うもの」
「ふふ。面白い」
男は視線を落として静かに微笑んだ。
「君を見ていると、眩しいんだが視線を逸らせない」
「そう?」
「ああ。輝いてる」
「嬉しいわ。もっと聞かせて」
「勝てる見込みもないのに挑んでしまう」
「ふふ。可愛い人」
「可愛いも可哀想も同じことさ」
「そうかも知れないわね」
「無謀を承知で挑んでしまうのさ。馬鹿な男だろ?」
「ええ。余り利口とは呼べないわね」
「馬鹿な男は苦手かい?」
「可愛ければ赦せるわ」
「弱音を吐く男は?」
「うんざりよ」
「美しい弱音は?」
「美しい弱音?」
「ああ」
「それは、どんな?」
「逢った瞬間、落雷にやられた。もうどうしようもない」
「──」
「君が何とかしてくれ──」
グラスの中の氷が堪らずメルトダウンした。