リアルSMとは神のように冷遇し、奴隷のように優遇することである。
【解釈】
常に流転する可能性を秘めている主従関係に盲目的で居られるのは、嗜虐と被虐の相反する両極の要素を内包しているからだ。
例えば、片側だけの極に傾いでいることのほうが変態である。
神は誰からも冷遇され、奴隷は誰からも優遇される。
何故か?
神は自身で完結できる存在であり、他者の協力を必要としない。依って、誰からも冷たくあしらわれるのだ。
奴隷は虐げられる存在と思いきや、他者の支配や管理を必要とする。依って、誰からも温かく迎え入れられるのだ。
このように物事の本質を相対的に捉えると、「大いなる矛盾」に気付かされる。そして、矛盾こそが真理なのだ、と。
正負の要素は常に逆転可能であり、両極を内包している。その両極の狭間を往来し、一連の流れが終始する。
被虐的に生を授かった瞬間刹那から、嗜虐的に大海原を流離う冒険に挑む。
「生きる」とは、そのこと自体が「リアルSM」である。