覚悟とは、覚醒したことを悟ることである。
決める。極める。
「極」と云うのは多極ではない。突き詰めると、一極しかないことを知る。
究極、終極とは、そう云うこと。
その極の端。つまり、極端とは、頂きの突端であり、最先端である。鋭利な刃物のように鋭く研ぎ澄まされているのだ。
故に、危なくて当然である。
凍りつくほどの恐怖と背中合わせなのだ。
なまじ腰が引けていると、自身の望む頂きには決して到達しない。
何故なら、それは「優柔不断」だからだ。
どちらかいずれか等と、選択肢が多いと云うことは、実は、この「極」について無知なだけなのだ。
必然を導き出すプロセスは、最早、選択とは呼ばない。それでも尚且つ腰が引けてしまう。
「覚悟が足りない」とは、そう云うこと。
道を極めよ。
道を極めよ──。
「殉じる」とは、そう云うこと。
我が魂の命ずるままに──。