何故、僕が「煩い」と云うのか

何故、僕が「うるさい」と云うのか。

それは、何処から来て何処へ行くのかも知らないくせに、あれやこれやと他人を干渉するからだ。人は何者にも縛られない高潔なものなのだから、すべてを赦し分かち合い給え。

自分に理解できないものを受け入れることで見えなかったものが透けてくる。

 解など要らぬ。感だけで良い。

何様のつもりだ、と云う問いを他人ではなく自身に向けよ。
そうすることで本質が浮き彫りにされる。


人間とは、何の使命も持たず何も司ることができず、死ぬまで生きることしかできない単なる肉塊にっかい──土塊つちくれに過ぎない。塵や芥と何ら変わらぬ果敢ない存在なのだから。

生まれて来たことが既に結果なのだ。

そう捉えることができれば、無理な力が肩から抜け落ち不思議と和らぐ。
雁字搦めの重圧感から解放され「真の安寧」と云うカタルシスを得られるのだ。


自分に理解できないものを受け入れることで見えなかったものが透けてくる。

 解など要らぬ。感だけで良い。


我が魂の命ずるままに──。

___ spelt by vincent.

コメント (1)

vincent. 2011年11月 5日(土) 00:04

「あなた次第」とは、こう云うことだ。

他人の意思決定に委ねられた自身の信条など、
何の重みもない。
また、何も動かせないし、動かない。

自身を動かす根幹が他力本願なのだから、
必然、音もなく消失する。

嗚呼、安らいだ気分だ。
ありがとう。