過激→不毛→本質→自我→無我

過ぎたるは及ばざるが如し。
過不足なくが適当。

例えば、情熱。迸る情熱。

高ずると、「激しい情熱」から「激し過ぎる情熱」へ。

過激──。

過激さは現状打破のモチベーションであり、破滅への片道切符。

情熱と云うプラス要素ですらマイナス要素を内包している。ひいては、善悪さえ通り超えてすべてのものを焼き尽くす。

非生産的で恐ろしく不毛だ。

不毛だが、止めることはできない。途中下車できるようなものは情熱とは呼ばない。麻疹の類いと一括できる。

予め不毛であることを知っているのならば、そもそも不毛であることを知っているのならば、不毛を育てる──この発想。


あらゆる一切のすべては強烈な矛盾と相反する対のコラボレーション。

プラスとマイナスは双方共に等分に2分割されている。強烈なイエスの裏側に同等レベルのノーが背中合わせなのだ。

清濁併せ呑む──。

それができて初めて「本質」と呼ばれるものが顕われる。


最果てに横たわるもの。それは非道く殺風景で安穏とした渺茫たる不毛の荒野──。

そこに行き着くまでの道は恐ろしく狭い。胎内回帰願望にも似た狭く細い道のりかも知れない。

不毛の荒野には「自我」が横臥している。

慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべ、何ものにも動じず、何ものにも応えない。

ただ微笑を浮かべ、横たわっているだけだ。

それと会話すること。
会話することが出来たなら…

そこに緩やかな「無我の境地」がさざなむ。

___ spelt by vincent.