loading...
【楽天市場】季節特集

私のイエス

私のイエス―日本人のための聖書入門 (ノン・ポシェット)
遠藤 周作
祥伝社
売り上げランキング: 26914
おすすめ度の平均: 4.0
5 キリストを知らない人に
5 曇りなき目で
5 私の人生を変えた一冊
5 第三者にとって非常に入り込みやすい
1 第二バチカン公会議の教えを攻撃する危険な著作家

遠藤周作の著作は、今回が初の拝読と云うことになる。
難しい文体ではなく、読み易く噛み砕かれていた。

間違ったキリスト教観。
と云うより、宗教教義について、誤解があることを提示されていたが、
思うに、総ての宗教教義には「誤解」が付き物だ。

真理とは、その当人が感ずる真理が真理であって、
普遍的な、何人たりともに当て嵌まるような、
絶対的真理と云うものは、恐らく存在しない。

愛を説くキリスト。
彼が生前、無理解者に囲まれ、裏切りに遇い、
非業の死を遂げたことに重なる部分があった。

そして、彼の説く愛と僕の感じている愛に、
非常に近似値を覚えたのも事実だ。
やはり、感受性豊かな人には見えるのだろうか。

彼は、所謂「奇跡」と呼ばれる「事実」はひとつも行っていない。
「真実」と「事実」の違いを知ったような気がする。

僕は、彼ほど被虐的では居られないので、
何処までも「赦す」と云うことは、到底、無理だろう。

穿った云い方をすれば、
彼もまた、神に縋り、そして、見棄てられ、
魂の器を失ったひとりだ。──我々と何ら変わらない、一個の人間だ。

ただ、改めて、自身の抱く「宗教心」と云うものに、
何かが加わったような気がする。



遠藤氏は「旧約聖書の神」と「新約聖書の神」は同一ではない、と云う。

詳細な教義にまでは及んでいないが、
旧約聖書の神は世俗的であり、地域密着型のような気がした。
この神は、謀反者を厳しく罰する。
神に逆らった者を容赦しない。要は「救わない」と云うこと。

対する、新約聖書の神は、敵をも愛し、これを赦す。
ただ、「赦しを請えば」と云う「暗黙の条件」が見受けられた。
旧でも新でも、根底での差異は殆どない。

やはり、どちらの神も完璧ではない。
神ですら完璧ではないのだから、
我々が完璧を欲することが、どれほど愚かしいことか…

そんなことを痛烈に感じる。

故に、僕は縋らない。自身の生きた「教義」が僕の総てだ。
そして、それは魂の器が滅却されれば、その時点で潰える。



我が魂の命ずるままに──。



このマントラに拍車が掛かった。
キリストが孤独に苛まれたまま、哀しみの淵で処刑されたように、
僕も、僕の愛を胸に抱いたまま朽ち果てるだけだ。

僕の云う「マイナスの美学」の中には、
心のデス・ノートに記名した名前をひとつひとつ消してゆく、
と云う作業が含まれている。

願わくば、朽ち果てるまでに完遂したい。





___ spelt by vincent.

関連スペル

◀ PREV RATT | Invasion of Your Privacy
メイク・サムワン・ハッピー NEXT ▶

コメント (2)

vincent. | 2007年7月27日(金) 07:41 | 返信

「預言者」と云う言い回し。
これは、ノストラダムスのような「予言者」とは違う。
「銀行預金」などと同義である「預ける」と云う意味だ。

平たく「神の言葉を預かった者」と云うことだ。

本来、そんなものは実存しない。神など居ないのだから。
何かを云ったり預けたりすることが出来る筈がない。

「預かった気になっている者」と云うのが「事実」であろう。

この世界観が「事実」「現実」と呼ばれている、
我々が「生活」している3Dの世界観のことである。

対する「真実」とは?
この世界観は、個々の魂に依って、その様相が様々に異なる。

所謂「空想の世界観」だからだ。
事実世界を司る「根拠」や「動機」と云った「理由」、
その基準となる「基準値」、それを以て判断すると云う「材料」など。

それら総てのものが、悉くない。

「いやぁ〜神が降りてきた。辛くもピンチを脱したぜぃ」

これが、その「真実」の一側面だ。

事実、神は降りてきては居ない。
ピンチを脱することができたのは、
その当人がなにがしかの回避策を以て脱したからだ。

事実とは、そう云った無味乾燥な世界観だ。

対する、真実の世界観は、それこそ縦横無尽である。
そもそも三次元ベクトルの法則は通用しない。
何の拘束もなく、何の束縛もなく、自由に飛び回っている。

この自由な世界観に、何らかの「拠り所」「基準値」を設けること。
それが「宗教心」だと感じる。

故に、絶対的な教えなど、この世にないのだ。
この辺りは、仏教のほうが強いと思う。



まぁま、縋っても救われないねぇ〜(´∀`*)y-〜♪

vincent. | 2007年7月27日(金) 07:59 | 返信

僕が云いたいのは、

 その個々が掲げる自由な「真実の世界観」を、
 自身が抱く「真実の世界観」と照らし合わせ、
 取捨選択や、四捨五入や、廃藩置県を行わず、
 自以外の、その他の「真実の世界観」を受け入れよ、と。

それが僕の説く「愛」だ。

云うなれば、、

 強烈な独断と偏見をお互いに喰い合う、呑み合う。

と云うことだ。

故に、矛先のない僕は、稀釈して、方々に愛を振りまく。

他人の笑顔は心地好い。。☆

ただ、逆賊には容赦せず鉄槌を下す。
でないと「現実世界」で生きづらいからだ。



キリストやガンジーやナイチンゲール。
彼ら「非力な人間の代表格」のような生き方は到底出来ない。

それが出来た彼らを僕は「尊敬」することは出来ない。
が、僕は「畏敬」と云う言葉を遣う。

同時に、
自身の魂に殉じる「魂の殉教者」としての共感を覚える。

 スーパー・ナルシズムだ☆

コメント投稿

feed icon コメント用フィード

このスペルに関連するAmazonオススメ情報

トラックバック

アーカイブツリー

ページランク

リファラーランク

BlogPeople BB feed icon

項目を


今日のことば feed icon

総合健康開発研究所(SOUKEN)
OpenIDに対応しています

OpenID

  • Movable Type
  • OpenID
  • TypePad
  • mixi
  • Yahoo! JAPAN
  • ライブドア
  • はてな
  • Google
OpenIDについて
アルファポリス アルファポリス Webコンテンツ