駅のホームへ滑り込んできた電車に乗ろうと、僕は足早に妻と子を追い抜いた。
子は電車好きなのだが、どういう訳だか乗車前に愚図ることがままある。大抵、大した理由もなくそうなるのだが、僕はうんざりした表情を浮かべると、妻が宥めているのを尻目に彼らを置き去りにしたのだった。
ちょうど、車輌が変わるくらいの距離で振り返る。何とか聞き分けて乗車するようだったが、ホームの柱が邪魔で視界が遮られていた。僕は電車を指差し、乗れる? と合図を送った。妻も子も乗るか乗らないか、何とも判断に迷う曖昧な挙動をしていた。
見兼ねて飛び乗った。ドアが閉まる。スルスルと電車が走り出すと、ホームには妻と子の姿が──。何だよ、乗ってねえのかよ… 僕の心の声が届いたのかどうなのか、電車は音もなく停車した。
虚を衝かれたように車内を見渡した。僕以外に乗客はいない。僕が乗った車輌は先頭車輌ではなかったはずなのに前方が見渡せた。何だ、これは…
硝子越しに子の姿が浮かんだ。
「パパ、僕たちは先に行ってるからね。待ってるよ」
そう云うと、スライドの電源が落ちたかのように硝子スクリーンからフェイドアウトした。僕は眼を瞠った。嫌な予感が全身を駆け抜けたからだ。
先に行く? 電車に乗ってないのに? どう考えても可笑しいだろ… それに何だ、あの哀しげな笑顔は… ガキができる表情じゃねえぞ。そう云えば、妻が後ろで膝を折って坐り込んでいたな… ひょっとして──?
僕の忌まわしい思考を掻き消すかのように、誰かが喚いているのが耳に飛び込んできた。我を取り戻すと、駅員と思しき眼鏡を掛けた女性が何事かを伝えてきた。
「大丈夫ですか? 今、緊急停車しましたがお怪我はありませんか?」
多少は揺れたが、そこまで大袈裟なものか? 僕は大丈夫ですよ、と応えた。
「そんなことより、僕の妻と子供を知りませんか? さっきまでホームに居たはずなんですが…」
そう訊くや否や、女性駅員の顔色が曇り僕から視線を背けた。
「それが… 我々も手を尽くしたのですが…」
再び瞠目した。僕の嫌な予感は外れることのほうが少ない。堰切ったようにその場から駆け出した。先程まではわんさといたであろう周囲に人影はない。多分、心情的なものがそうさせているのだろうと高を括り、全身を襲う嫌な予感と格闘していた。
轢死──僕は彼らの死を予感していたのだ。
何処だ、何処に居るんだ、一体…
線路沿いの柵伝いを並走した。乗り越えられそうな、なるべく低い場所を探しながら。途中、腐って落ちそうな柵に当たった。片手で乗り越えようとしたとき、
「そんなところから入っちゃダメですよー」
と声がした。半分、躰が宙に浮いた状態で声のした方向に視線を向けると、僕の子がケタケタと愉快そうに笑っていた。そのまま、ガラガラと崩れ落ちた。
彼らは駅長室と思しき部屋で保護されていた。僕から彼らとの距離は数10メートルといったところか。ゴムボールか何かを蹴って遊んでいる。崩れ落ちたままの僕の目頭には熱いものが込み上げてきた。生きてた。良かった…
──と、ここで目が覚めた。時間にして5分、10分だろうか、否、2、3分かも知れない。最近の睡眠不足が祟ったか、いきなり落ちたのだった。
久しぶりに頬を伝う液体の温かさを感じた。
夢で良かった、本当に──。