「わたし、あなたに恋愛感情はないの…」
彼女の半開きの唇からぽつりと洩れ出した。普通の男だったら、眩暈を覚えるほどの衝撃を受けるに違いない 。
彼は黙って彼女の瞳を見つめた。
一点の曇りもない。
彼女の瞳は真実しか語らない。
彼女の唇はそのトランスレータ。
彼は煙草の先端で赤く光る700度の炎を、1500度までゆっくりと上げてから、ほぅとひと息ついた。
吐き出された薄紫の煙は、照明を落とした薄暗い部屋の中で行き場を失ったようにゆらゆらと漂う。
「うん。それで?」
彼は煙草の灰を灰皿に落としながら訊いた。
彼女は視線を少し下げ、言葉を選んでいるようだった。
「『好き』とか『嫌い』とかじゃないの」
「あぁ、分かるよ」
「なんてゆえばいいんだろ… うーん…」
彼は、はにかみながら笑った。
「もっと『深い』んだろ?」
はっとしたような表情をしてから彼女がこくりと頷いた。
「『恋愛』なんて軽い表現は適切じゃない、と」
再び頷く彼女。
彼は壁の一点を見るともなしに眺めながら、黙々と煙草を喫っていた。
しばらくしてから、
「俺も恋愛感情なんてないよ」
と彼が呟いた。
「そんな生やさしいもんじゃ括れない」
彼女の口元が少し綻んだ。
「シンアイ──」
彼は呪文のように唱えた。
「え? 『親愛なる』の『親愛』?」
「や、『深い』に『愛』で『深愛』」
彼女の瞳が輝いた。
「わたし『深海』って聞こえた」
照れながら彼女は笑った。
「まぁ、似たようなもんだよ。深海魚は骨があると躰がバラバラになるんだ」
彼女がきょとんとした。
笑いながら彼が続ける。
「だから『骨抜き』」
彼が悪戯っぽく笑い掛けた。
彼女は彼に飛び込むように抱きついた。
彼は慌てて煙草を灰皿で揉み消し受け止めた。
「深愛は恋愛も包括してるんだよ」
「うん」
「ふたりでひとつ」
「うん」
「例え距離が離れていても切り離すことはできないんだよ」
「うん」
これ以上の会話は意味を為さない。
ふたりだけに分かる言葉で
ふたりだけの視線の会話を
トランスレータ抜きで──
深愛──
ホワイトデーの翌日に
彼が彼女に贈った言葉