僕の食に対する感覚の問題と云うのは、心療内科系で括ると「摂食障害」と云うことになる。
多分、綴っている本人が一番自覚しているのだが、恐らく、僕からは「食」と云うイメージがないと思われる。圧倒的に「飲」のほう。そちらのイメージのほうが鮮烈だ。
「vin.さんはいつもグラス片手なイメージがある」
こんなことはよく云われるので、正直、何とも思わない。
2008年4月 アーカイブ[14]
瞳で殺せ
これほどの傲慢を人は「オーラ」と呼ぶ。
オーラ纒いし、恣意的、独善的な魂人よ。
我が敬愛なる同志、主君たちよ。
瞳で殺せ──。
瞳は語らずともすべてを物語る。
多くを見てきた者は、それだけ映ったものが多いのだ。
例えば、物質的質量、概念的濃度。
それらは、さほど問題ではない。
重くても軽くても「然」。
薄くても濃くても「然」。
我が魂の命ずるままに──。
布石
眼の前の小事を、遥か彼方の大事の礎として配置する。
──これを「布石」と呼ぶ。