俺の中で自我では制御不能な構成要素が在る。
物理的、道義的には他我なのだが、自我の中枢を担う恐るべき構成要素のひとつ。
恐るべき、と表現したが、心地好い、のほうがしっくりくる。
恐るべき、と綴らせたのは、それが抜け落ちたときの自身の脆さに対して向けられただけなのだろう。
失いたくない。否、失うべきではない。
可能性とポテンシャルに眼を向けたのは、俺ではなく、その構成要素自身──。
俺は、俺が俺で在る為に、その構成要素を慈しむ。
くすぐったくて何だかムズ痒くなってしまうが…
俺が「愛」を口にするのは、そう云う構成要素に対してだけだ。
その他のものは消し飛んでしまって一向に構わない。あってもなくても、別段、困りもしなければ惜しむ気もない。
存在の肯定──。
肯定とは否定の対ではない。
その存在が在る、と云うことを自身の魂が自身の魂に命じていることだ。
そこには何らの予備知識も何らの注釈も不要だ。自身の魂が完全に掌握しているのだから、他のどんな教えや諭しが必要だろうか。
無理解がお好きな御仁は、どうぞお気の召すままに。縦横無尽に悶絶されたし。
俺は、あらゆる存在を認識するが、肯定はしない。それほど無節操でもなければ、無教養でもないつもりだ。
凡そ独断と偏見と差別で分別し、分け隔てを以て区別しているつもりだ。
耳障りの悪い言葉を並べたが、生憎、俺は嘘がつけない。善人ぶるほど偽善的でないだけだ。
存在の肯定を貫ける喜び──。
これが真の「歓喜」と呼べるものだろう。
例え、遥か彼方に離れていようとも、
例え、触れられぬ遠隔であろうとも、
俺は自我で制御不能な構成要素の存在を肯定する。
俺は俺の大事な唯一の構成要素を慈しむ。
そして、俺の眼には何故か涙が溢れてくる。
俺は自我で制御不能な構成要素の存在を肯定する。
俺は俺の大事な唯一の構成要素を慈しむ。
そして、俺の眼には何故か涙が溢れてくる。
だが、素敵な心地好さだ。
本当にありがとう。