救われないほどに救われている人は救いを欲さない。
そんなことをふと思った。
救いを求めているうちはまだまだ。
「真理」とは、虚無に満ちた残酷さと辛辣さの中にある。情緒的な要素は一切排除されていたりする。
「精神論」とは、自分自身が自分自身に対して「期待」する唯一の逃避──その方法手段を内面に求めているだけだ。
或る意味、「真の諦めの境地」に至れば、今まで霞掛かっていた視界が開け、より良い「光明」を見出せるのかも知れない。
コメント
2005年09月30日10:32 vincent.
未だ嘗て見たことのない、そのより良い光明は眩し過ぎて眼がくらんでしまうかも知れない。
だが、臆する事勿れ。
気付いたのは自身のポテンシャル。
我が魂の命ずるままに──。