変化を望むから変化が訪れない。
変わることは、
良いことかも知れないけれど、
悪いことばかりでもない。
変わることは、
恥ずかしいことばかりかも知れないけれど、
恥ずべきことがない訳でもない。
だから、真っ直ぐ、真っ直ぐに。
真っ直ぐに生きてゆけばいいじゃないか。
たった、それだけのことなんだ。
コメント
2005年08月09日19:53 vincent.
打ち合わせを終え、坂道を歩きながら、悲観的な意味合いはなく、そんな当たり前のことをふと思った。
2005年08月10日09:25 vincent.
「変化を望む」と云う「希望」のベクトルを視覚的に描写すると、ブーメランが描く放物線のようだ。
自己の内面から放たれ、弧を描いて自己の内面に戻る。捉え方に依れば、非道く自虐的な行為かも知れない。
「変化が訪れない」と云い切っているのは、自虐的行為であるにも関わらず、被虐的…つまり「変化を待っている」と云う「受動態」について表現しているだけに過ぎない。
「変化」部分を「○○」で置き換えてみる。
○○を望むから○○が訪れない。
「変化」と云う言葉に惑わされず、○○に他の要素を当てはめてみると、思考の助力になるかも知れない。
2節、3節に至っては、「変わること」と云う「単」と「悪いことばかり」と云う「多」。「恥ずかしいことばかり」と云う「多」と「恥ずべきこと」と云う「単」を、それぞれに対比しているだけだ。
「真っ直ぐ」とは…
スタートからゴールを繋いだ直線
…と云ったところだろうか。
人は生まれた瞬間から死へと向かっている。「不老不死」と云う「希望」が叶った実例を聞かない。
不老不死を望むから不老不死が訪れない。
ものすごく雑多なことに囲まれ、非道く入り組んだ道を歩いているようであっても、実は、驚くほどに単純な一本道を歩いているだけなのだ、と。
道が一本しかないのだから、何が立ち塞がろうと他の道を選ぶことはできない。必然的に「真っ直ぐ」──。
…そんなことを自問してみただけやんなぁ〜 笑
2005年08月10日17:09 vincent.
「真っ直ぐ」とは比喩的表現であり、実際に直線を描いている訳ではない。
不明感を覚えて困惑するのはオイラの知るところではないが、雑多にしているのは自身の脳内である。
一本、筋が通っているように見えても、実は何もなかったりするのが人間である。
しっかりと、着実に、自分の意思で歩いているつもりでも、実は「何か」に歩かされているだけなのかも知れない。
それを「能動的」と捉えるか「受動的」と捉えるか… 大いなる矛盾感を抱きつつも、自身の「釈然」を目指し、それでもなおかつ一方向へしか進むことができない。
そんなことを自分自身に向けて綴っているだけやんねぃ〜
自分の頭の中で整理できたことを書き留めておく。そして、何かモヤモヤしてスッキリしないときに読み返す。で、「あ。せやったねぃ〜♪」などと。。笑
そんな脳内会議の助力として自身の言葉を綴る。
そんな感じかなぁ?
そんな感じで♪