表現のモラル

駄文を綴る=排泄行為

本来、排泄行為は他人に晒さないものだ。
これは人間が他の動物と大きく違う、人間ゆえの感覚だ。

美しくない行為を美しく見せようとする行為──それが「表現」だ。

己の内面の吐露を、
己にしか感じられない感覚を、
自分自身が認識するために、
また、他人に投げ掛けるために──
あれやこれやと、手を変え品を変え、
様々な工夫や技巧を凝らす行為──

それが「表現」だ。


「表現の自由」と云う言葉があるが、自由とは、何でもアリ、と云う意味ではない。

それを履き違えて、著作権侵害、当たり前。肖像権侵害、何のその。みっともない唐変木がのほほんと美しいものを穢す。

こう云った行為は表現とは呼ばず「無責任な無形の暴力」と呼ぶ。

画像・映像・音楽・文章。その他あらゆる著作物には相応の責任が課せられる。
この「表現のモラル」を理解できない者は、潔く自己表現を停止せよ。
みっともない。はしたない。恥を知れ。



心ない不躾者によって
心痛める愛しい者を
目の当たりにして…

___ spelt by vincent.