とかく極論を吐く傾向のある自分だが、最近のキーワードは「なんとなく」だ。
世の中、大半の人が極論や強烈な刺激を求めるが、そのくせ実は、ちっともその辺りを受け止めるキャパシティがまるでない。
「すごい」という言葉を口にするだけで、そのすごさを形容したり、心から絶賛するボキャブラリーがない。
要するに、借り物競走ライクな表現を好んで用いる。
ありきたりな表現や、月並みな言葉であったりするために、その人の素の部分がまるで見えてこない。上っ面を取り繕った言葉では物作りの心は震えない。
もう少しだけ、魂をアドオンして欲しいと願う。上乗せ、上乗せで前のめりになるくらいが丁度いい。そうして、自分自身の普遍的なテーマを、自分自身のコアな部分をさらけ出して欲しいのだ。
言ったり、考えたり、思ったりすることはタダだ。無駄口を叩き、下手な考えを巡らせ、邪な思いを馳せるべきだと感じる。
ただ、極論や正論は受け入れられにくいので「なんとなく」。「普通」ではなく「なんとなく」──これが、継続・持続の秘訣だと考える。
最後に最大のインスピレーションを。
努力とは凡人の希望である
by 立川談士