絶対の定義に当て嵌まるものを新たに拾得した。
それは「世界の存在」である。
世界の存在を説明するためには、非世界の存在が必要だが、世界以外のものは、定義上、何もないとされている。
何故なら、世界とは存在するものすべてを含有しているだからだ。
唯一無二。対を絶した存在──。
よって、世界の存在は「絶対」である。
例えば、「或るものX」の存在を説明するために、そうではないもの「非X」を用いて説明する、という方法論がある。
この方法論を用いて世界の存在を説明するためには、非世界を用いる必要がある訳だが、世界は万物を内包する存在であるが故、その対となる存在は存在し得ない。
「有」の対は「無」とされており、無の証明は有の証明よりも遥かに困難とされている。「有の輪郭」の外側に「無」があるのだとしたら…
世界は「有の代表格」であり、絶対なのだ。
或いは、世界とは客観を含めた主観で帰着している。
そう考えると、自身の存在とは世界の一部として世界に内包されてはいるものの、その外輪たる世界を証明し得る唯一の観察者・認識者であり、唯一の証明者である、ということが容易に推察できるだろう。
故に、世界は紛れもなくあなたのものであり、僕のものなのだ。
──と、このような思想が、個々の唯一無二らに正しく浸透すれば、世界が危機に晒されるという愚行は露見しないだろう。
わざわざ世界の所有を目論むまでもなく、既に自らの手中に収めているのだから。
世界にすべてが内在しているのか、内在するものらの輪郭が世界を象っているのか。
その証明は、また別のお話。
*2017.11.11・草稿