柔らかさ考に引き続き、麗しい女の子との愉悦の時間を堪能した訳なのだが、そのときの話題に「刹那主義」と云うものがあったので少し掘り下げてみたい。
──「刹那主義のススメ」である。
この言葉は「快楽に溺れる」や「一時の気の迷い」的な解釈が一般的にはされている。
何とも、ほろ苦さや甘酸っぱいものまで思い浮かべてしまいがちだが、さておき…
果たして、この「刹那」と云う意味をよく分かった上で遣っているのだろうか?
そんなふとした疑問コロナプラズマが、僕を衝動へと駆り立てた…☆
凡そ、言語・語彙と云うものは「流行語大賞」などが示す通り、流行・廃りがあり、それぞれの語彙の定義は常に流動的である。
僕が「言葉に意味はない」と云わしめた根幹でもあるのだ。
そう云ったことを踏まえれば、この疑問自体がパラドックスでは? などと…苦笑
但し、やはり「言霊は宿る」ので、
閑話休題。
「刹那」とは、サンスクリット語(梵語)「クシャナ(ksana)」の音訳である。平たく「仏教用語」である訳だ。
「クシャナ」と云うのは、「極めて短い時間の単位」のことだ。
例の「何時何分何秒? 地球が何回廻ったとき?」と同様の話なのだ。
…(*´艸`)ウフフ♪ コホン…また、横道へw
『
120刹那(クシャナ)=1怛刹那(たんせつな・タットクシャナ)
60怛刹那=1蝋縛(ろうばく・ラヴァ)
30蝋縛=1須臾(しゅゆ・ムフールタ)
30須臾=1昼夜
30昼夜=1ヶ月
そして、12ヶ月=1年、と。
すなわち、1昼夜を24時間とすれば、
1須臾は48分、
1蝋縛は1分36秒(48/30分)、
1怛刹那は8/5秒、
1刹那は1/75秒(!)
──と云うことになる。
つまり、この計算によれば、刹那は1/75秒と云うことになるのだが、、
力の強い男が1回、指を弾いた(1弾指・だんじ)の間に65刹那掛かると云い、故に「1弾指の1/65を1刹那とする」と云う異説もあるのだ。
また、大毘婆沙論には、
二人の成人男子が何本ものカーシー*産絹糸をつかんでひっぱり、もう一人の成人男子がシナ産の剛刀でもって、一気にこれを切断する時、1本の切断につき、64刹那が経過する」
___ 定方晟『須弥山と極楽』99ページより引用
と、いかに「刹那」が短い時間であるのかが述べられている。
*カーシーとはインド古代の国名。
そんなこんなで「時間の計算法」には様々な伝承があり、インドのプラーナ聖典や天文学書などの間にも多くの異説が見られる。
つまり、古代インドにおいては時間計算の基準はまちまちであり、学系によって著しく異なっていたのだ。
そして、極めて短い時間ではあるのだが、
例えば、『バーガヴァタ・プラーナ』によれば、「3ラヴァ(蝋縛)が1ニメーシャ(殉)、3ニメーシャが1クシャナ(刹那)」とされている。
更に、ラヴァよりも小さい単位名も幾つか挙げられていたりするのだ。
いやはや…もうこうなると、何が何やら…(´∀`*)y-〜♪
まぁま、勝手にすすめといてアレなんやけど、、(*´艸`)ウフフ♪
おもろければなんでもえーねん
の布石であることを含めおき、ご挨拶の代わりとさせて頂きます。ペコリ
Just a moment. Wait a minutes !!!
最期にひとつ、これだけは綴っておきたい!
「今いっとき」を濃密に──。
それが「真の刹那主義」である。
Not at all.(´∀`*)y-〜♪
そんな感じで♪