「──あなたは危ない人だわ」
ひとつ開けたカウンター席に坐っていた女が不意に口火を切る。
「君に俺の何が見えるんだ?」
大振りのロックグラスの中の氷をカランと鳴らしてから、女を見るともなしに男が訊く。
「見えなくても空気がそれを伝えるわ」
「何も纏っちゃいない。素っ裸さ」
「いいえ。雰囲気を着ているわ」
「面白い──」
「笑わそうとは思ってないわ」
「狙うと外れるケースもある」
女が僅かに口許を綻ばせると、男の口許にも笑みが浮かぶ。ロックグラスをコースターの上に置き、「逢ったばかりで何が解る?」と訊いた。
「理解に時間は必要?」
女は男に真っ直ぐ視線を向ける。その視線を感じながら男は再びグラスを手に取った。ひと口接吻けてから「そう云うケースもある」と呟いた。
「そう。まどろっこしいのね」
「おつむの出来は不平等なのさ」
「わたしは理解に時間は要らない」
「俺も無駄遣いはできないタチだ」
「昔から?」
「ああ。厳しく躾けられた」
「フフ。聡明なご両親ね」
「や、俺を作ったくらいだ。相当な閑人だろう」
「尊敬はしていない、と?」
「尊敬てな、もっと高い位置で寝そべってるのさ。彼らはその足許にも及んでない」
「随分ね──」
「ああ。親不孝者だからな」
「そんなことはないと思うわ」
「生憎、俺は嘘がつけない」
「フフ。面白い人」
「危ないの次は面白い、か」
「あなた、ひとりで何役やってるの?」
「ケース・バイ・ケースさ」
笑みをたたえた女の唇に透明な発泡性飲料が吸い込まれた。しなやかな指先に挟まれたコリンズグラスの中で、細かな泡粒が幾筋かのラインを描く。男がその指先に見とれていると、視線を感じた女が「気になる?」と訊いた。男は視線を逸らし、煙草を1本取り出した。
「左手の薬指に指輪はしてないわ」
男がオイル・ライターで火を点けた。ふうと煙を吐きながら不敵な笑みを浮かべる。
「──そんなことは気にしちゃいない」
「あら。ワイルドね」
「情熱的なだけさ」
「わたし、情熱的な人、好きだわ」
「俺好みの女は誰でもそう云うよ」
「あら。背負ってるのね」
「ああ。背負い切れないほどさ」
「フフ。面白い人」
「危ない人は卒業したようだな?」
「いいえ。留年決定よ」
「成る程。おつむの出来はやはり不平等だ」
煙草を挟んだ左手にロック・グラスを持った。グラスを傾けると、琥珀色の液体が氷の間からすり抜けるように流れ出し、独特の芳香と共に男の喉に滑り込む。
「何故、俺を危ない人だと?」
「そう感じたのよ」
「そうか」
「ええ。殺意? そんなものに似た何かを感じたわ」
「殺意、か」
「ええ」
男はグラスの中の氷をカラカラと鳴らした。視線は何処を見るともなく虚空を彷徨っている。
「神経がまともだと本当に実行しそうで怖いんだ」
「何を?」
「その殺意とやらの解消を図る、その実稼働さ。相手の身を案じてしまう」
「そう」
「だから、こうして神経回路を麻痺させるのさ」
「随分と恨んでるのね?」
「や、恨みはない。執着もない。未練もない」
「ないない尽くし…… 何もないのね」
「ああ、何もない。驚くほどにスッ空かんさ」
「色即是空、ね?」
「難しい話は苦手だよ」
「あら。嘘はつけないって、さっき」
「ああ。意識して嘘はつかない」
「もし、あなたが女だったら相当な性悪女ね?」
「ああ。性悪女には綺麗な女が多い」
「わたしが男だったら間違いなく惚れるわ」
「君も相当、面白い女だね?」
「ええ。わたし、悪食ですもの」
「そうか。じゃ、下手物喰いは君に任せるよ」
「わたしの悪食って清濁併せ呑むってことよ? 何でも咀嚼して好き嫌いなく何でもよく食べるの」
「成る程。食欲旺盛で聡明だ。俺も悪食をそう定義している」
「それとも、あなた、自分が下手物だとでも?」
「どう云うことだ?」
「わたし、あなたを狙ってるのよ?」
「ほう。おっかないね」
「いいえ。あなたには負けるわよ」
「逃げるつもりはないがね」
「逃がすつもりもないわ」
「お手柔らかに頼むよ」
「いえ。ハードに行くわ」
「ほう。ワイルドだな」
「情熱的なだけよ」
「面白い女だ」
「いい女の間違いでしょ?」
「才色兼備だ」
「欲張りですもの」
「そうと決まれば話は早い」
「何の話?」
「君は俺を狙ってるんだろ?」
「ええ。そうよ」
「だったら、こんな所でぐずぐずしてられない」
「こんな所だなんて。お店の人に悪いわ」
「気にしちゃいないさ」
「割りと繊細かもよ?」
「俺は俺より繊細な奴を俺以外に知らない」
「うふふ。背負ってるわね」
「そう云ったろ?」
「ひとりじゃ背負い切れないわ」
「手伝うつもりは?」
「わたしで構わないの?」
「君じゃなきゃ駄目だ」
「いつ決めたの?」
「つい今し方さ」
「自分勝手な人ね」
「君には負けるさ」
「キリがないわね」
「ああ。勝負しないほうがお互いの為さ」
「そうね。仲良くしましょ」
女はそう云うと、コリンズ・グラスを傾けた。いきなり、男がその手を掴んだ。女がはっと驚く。男は掴んだ手を逆手に捻りながら凄んだ。
「いいか。これだけは云っておく。俺以外の男をこの指先で触れたら──」
「──触れたら?」
「手首から切り落とす」
女の視線は男に釘付けだ。少し動揺の色も見て取れる。
「忘れないでくれ」
そう云うと、男は手を離した。落ち着きを取り戻すように女が訊いた。
「いつ決めたの?」
「つい今し方さ」
「フフ。せっかちね?」
「理解に時間は要らない」
お互いの視線がふたりの空間で絡み合う。
「解ったわ。あなた以外の男には触れない」
「物分かりのいい女は嫌いじゃない」
女が微笑を浮かべる。やっぱり… と云い掛けた女の唇を男は指先ひとつで封じた。
「あなたは危ない人だわ──」